常連校の芝浦工大、またスタートラインに戻って第7回 全日本学生フォーミュラ大会 レポート(番外編)(1/2 ページ)

第7回大会を辞退した出場常連校の芝浦工大。チーム解散の危機にまで陥るが、生き残ったメンバーで再起を決意!

» 2009年10月29日 00時00分 公開
[小林由美MONOist]

 芝浦工業大学「Formula Racing」(通称「SHIBA-4」)は、芝浦工業大学(以下、芝浦工大)の学生によって、2003年3月に結成された。以来、5年間、全日本学生フォーミュラ大会に出場し続けてきた。日本大会では、最高で総合4位を記録し、アメリカやイギリスの大会にも積極的に出場して大健闘している。

 芝浦工大チームは、いわゆる、学生フォーミュラ大会の出場常連校。2009年の第7回大会にも、当然、出場するかと思われていた。ところが、2009年4月、同チームのホームページに、アメリカ西大会および日本大会出場ができなくなったという文章が載った。設計開発の遅れが理由ということだったが、実はその裏では、さまざまな問題や苦労があった。一時期は、チーム存続の危機にまで陥ったという。

芝浦工大の車両 S007のカウル

 しかし現在は、同校の大宮キャンパスの敷地内の一角で、車両を元気に試走させている姿が再び見られるようになった。芝浦工大は、来年度(2010年)の大会出場に向け、日夜、車両開発を進めている。

 来年度の車両「S007」のカウルは黄色で、まるでバナナのよう。これまでの車両のカウルは、黒や濃いブルーで、形状の雰囲気も大きく変わった。他校の車両であまり見かけない色なので、大会会場でも目立ちそうだ。「僕たちの再出発に、皆さん、どうか注目してください!」、そんなメッセージだろうか?

芝浦工大のパワー源は、院生だった

 来年度のチームリーダーに就任したのは、現在大学2年生の早川 佳佑さん。学業とフォーミュラ活動の両立は、時間のやり繰りが大変ではないのかという記者の質問に、

 「時間は作るものだと思います。設計や製作には期限がありますから、寝る時間を削ってでも時間を確保しています」

と答える。

芝浦工業大学 早川 佳佑さん 2010年度大会 チームリーダー

 そもそも早川さんが芝浦工大に入学した理由は、この学生フォーミュラ。志望校を決める前、地元の工業大学のオープンキャンパスイベントで、学生フォーミュラ大会について初めて知って以来、その魅力に取り付かれた。もちろん志望校は、学生フォーミュラがある学校に絞り込んでいった。その中から、芝浦工大を選んだ理由は、チームの大会実績だという。

 「モノづくりが好きだったこともあるし、部活動をやるなら意味のあることをやりたいと思ったこともありました」(早川さん)。

 胸に大きな希望を秘め、念願のフォーミュラチームに入った早川さん。海外の大会にまで出て、確かな実績を残してきた、あの芝浦工大のフォーミュラチームの活動だから、相当きついんだろうな、と覚悟をしていたという。

 しかし実際、彼のそんな覚悟は、あまり必要ではなかった。彼が新入生だったころ、チームに強い緊張感はなく、いわゆる“ナアナアな空気”に侵食されつつあった。それでも、そのころは、まだましだったという。彼が2年生に進級すると、もっと状況は深刻になっていった。開発の進行管理をする人も、いない。個々のメンバーが勝手気ままに部品を作り、なんとなく車両ができあがっていく。ほかのチームメンバーが何をしているのか、よく分からない。そのだれた空気は、大会の成績にも反映されていた。

 昔からそうだったのか? ――早川さんは先輩やOBに尋ねてみた。「それじゃまずいだろう!」と、当然のごとくOBからはおしかりを受けてしまったという。

 「僕が入学したときから、チームの中の大学院生の数が、ガクッと減ってきていました。2年に進級するころは、学部生だけになりました。そのことが1つの原因だと考えています」(早川さん)。

 常連校でも学部生がメインのチームはたくさんあるはずだ。それなのにどうして、大学院生の有無とチームの士気が関係あるのか。それは、芝浦工大のチームの生い立ちが起因しているようだ。

「ことの発端はある一研究室の研究テーマ 【製品開発に求められる機能設計とグラフィックデザインのイメージ、それらを構造設計へとつなぐ新しい付加価値創造のための工学的アプローチ法】を実践するために先生が学生たちに与えた研究対象がFormula-SAEコンペ用の車両でした」

 上記の研究に携わった大学院生たちは、研究成果を基にして実際に車両製作をしてみたいと考えるようになった。やがて、研究室の垣根は関係なく、クルマを作ってみたい学生が一堂に集まり、同校のフォーミュラプロジェクトが発足したという。同校のフォーミュラ活動は、もともとは研究課題。学生たちの卒業が懸かっていたこともあって、車両開発のモチベーションは必然的に高くなった。それに学部生と違い、研究課題であるフォーミュラ活動そのものに集中できることも大きかったようだ。

部室の様子

チームの空気の変化

芝浦工業大学 永井 宏和さん シャシー担当

 早川さんより1年先輩の大学3年生 永井 宏和さんは、以前のことについて、このように話した。「昔は、大学院生の先輩たちが必死になって素晴らしいマシンを作ってくれました。それで、後に続く下級生たちが随分助けられていた部分がありました。ところが僕たちの入学した頃ぐらいから、学部生が増えてきて、だんだんチームの空気が変わってきているのが分かりました」。

 チームの学部生たちが大学院へ進むと、チームを離れてしまうようになったという。かつてのように、学生フォーミュラを研究課題にはしてくれなくなった。成績が落ち目の活動に、自分の卒業を懸けるのは、危ないと考えてしまう。ミーティングに参加してアドバイスをしてほしいと頼んでも、きてくれなくなってしまった……。

 「このころ、チームマネジメントがきちんとできていませんでした。リーダーがオーバーワークになってしまったからなんです。プロジェクトリーダーが、渉外や校内への連絡関係などの事務作業のほとんどすべてをやっていました。そのうえ、3人のパートリーダー(車両の部位ごとのリーダー)は3年生で、そのうち2人が就職活動に注力してしまい、フォーミュラ活動に注力してくれない状態でした」(永井さん)。

 芝浦工大は、その文字通り工業関連を学ぶ大学。その生徒たちも事務仕事よりは、設計や工作などモノづくり関連の作業ばかりやりたがってしまう。それもまた、マネジメントに対してつい後ろ向きになってしまう要因だった。

 チームの旗振りをするべきリーダーが機能しなくなってしまい、スケジュール管理もままならない。各パートリーダーが集まる会議も、なくなってしまった。個々のチームメンバーたちは、どうしたらいいか分からないため、ひとまず自分のことに注力するが、だんだんほかのメンバーとコミュニケーションを取らなくなっていった。

 「芝浦工大は3年生に進級すると大宮校舎から豊洲校舎に移りますので、上級生と下級生との連絡が疎遠になってしまいがちでした。そこでまた、チームメンバー同士のすれ違いが増えていく感じです」(早川さん)。

 当時のチームリーダーを中心としたごく一部の人の間で話し合いが持たれていたが、彼らの間だけで設計方針が決められていく。そのメインストリームに入り込めないメンバーたちは、チーム全体の運営からどんどんおいていかれてしまった。誰も自分に干渉してこないので、チームメンバーたちは作業の期限を守らなくなってしまった。

 今回の第7回大会エントリー前に車両設計は一応できていた。しかし、あくまで“一応”であって、形だけだった。ふたを開けてみれば、未検討の項目が盛りだくさんという状態で、掲げられていた設計コンセプトはウワベだけになっていた。

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