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» 2009年12月04日 14時47分 UPDATE

経済研究所 研究員は見た! ニッポンのキカイ事情(2):パリジェンヌたちを魅了するオイゲンの鋳物 (1/3)

経済研究所の研究員が、さまざまな切り口で加工技術や現場事情を分かりやすくレポートするシリーズ。よりよい設計をしていくために、加工事情について知識の幅を広げていこう。(編集部)

[山本 聡/機械振興協会 経済研究所,@IT MONOist]

 皆さんこんにちは。機械振興協会 経済研究所の山本です。当方、相変わらず北は北海道、南は九州まで全国各地の企業を訪問している毎日です。ただ、沖縄にはまだ行ったことがありません。もし興味深い企業をご存じでしたら、どなたかぜひ教えてください。

 第1回の冒頭で書いたように、モノづくりは「設計」「鋳造」「切削」「研削」「放電加工」「磨き/仕上げ」「検査」といったさまざまな工程・技術から成り立っています。日本はその全てで高い国際競争力を有していますが、それを支えているのが数多くの中小企業です。本連載の第2回では岩手県奥州市の「及源(おいげん)鋳造」を訪問することで、中小企業がどのように技術力を向上させているのか、またそこに介在する数々の人間ドラマを見ていきたいと思います。

1.900年の伝統を背負わんとする鋳物企業

 皆さんは「鋳物」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか?

 一般的には「埼玉県川口市」「キューポラのある街」「吉永小百合(これはちょっと違うか!?)」といった形で連想が続いていくのかなぁと思います。鋳物、すなわち鋳造というのは古代からある伝統的な加工方法です。古くは奈良の大仏やお寺の鐘などが鋳造によって作られてきました。そのため、全国には数多くの鋳物による伝統工芸品が存在します。筆者は出張にいった折に当地の伝統工芸品を購入していくのが趣味なので、自室には幾つか鋳物の工芸品があります。

 そんな伝統工芸品の1つに岩手県の「南部鉄器」があります。南部鉄器、というと「鉄瓶」「鉄鍋」「風鈴」といった重厚で芸術性の高い品々が頭をよぎります。しかし、そんな常識を覆しながら、伝統に裏打ちされた高い鋳造技術で数々の生活用品を製作、世界中に発信し、高い評価を受けている企業があります。それが今回、訪問する及源鋳造です(写真1)。

alt 写真1 及源鋳造本社:昔ながらの鋳物工場という雰囲気が漂います。まさに「キューポラのある街」といった感じです

 及源鋳造が立地する奥州市水沢区は盛岡市と並ぶ南部鉄器の一大産地で、その歴史は非常に古く、平安時代末期(1088年)までさかのぼります。同社もまたその創業が江戸時代末期の1852年(嘉永5年)にさかのぼり、その歴史は150年以上にのぼります。創業当初は鍋や釜を作り、近年になるとマンホールや街灯、機械部品なども鋳造で製作していました。1980年代のバブル期には世の好景気と相まって、同社も業績を拡大、最盛期には従業員数が150名にまで至ります。しかし、バブル崩壊以降、失われた10年の中で徐々に経営が悪化していき、1998年には従業員数も100名を割るまで縮小してしまったのです。

 こうした中で、「何とかしよう」と立ち上がったのが及源鋳造の現社長 及川 久仁子氏です。

 彼女は、

 「900年の伝統を安売りすることなんて決してできない!!!」

という信念の下、自社の組織・モノづくり現場を改革していきます。

 具体的には、欧米の市場開拓を視野に入れて、南部鉄器の製作に自社の経営資源を集中させていくのです。当時、マンホールや街灯、機械部品といった鋳物がいまだ売上全体の3割以上を占めていた中での勇断でした。

2.マダム・オイゲンの戦い〜その気高く、強い眼差しははるか世界を見る〜

 久仁子氏は武蔵野美術短期大学を卒業し、東京のデザイン学校で2年間勤務した後に実家である同社に入社しています。入社から15年ほどは、うら若き女性ながら「石膏(こう)原型づくり」や「プレートの製作」といった鋳造工程に従事、熟達していきます。鋳物工場とは熱気が充満した、屈強な男性でもたじろぐ過酷なモノづくり現場です(写真2、写真3)。

alt 写真2 及源鋳造のモノづくり1 注湯:ドロドロに溶けた鉄を砂型に流し込んでいます。周囲に熱気があふれます

alt 写真3 及源鋳造のモノづくり2 仕上げ:鋳造で成形された製品を精度高く仕上げます。職人技が光ります

 そうした現場で年長の職人たちから、ときに厳しくも暖かい指導を受けて、同社のモノづくりに傾注していくのでした。

 ところが、30代前半にして経営陣に参画したころから風向きが変わり始めます。同じころ、工業用縫製の技術者だった及川 秀春氏(現 専務取締役)と結婚、同氏を自社に迎え入れます。

 夫の助言もあって、少しずつ社外の世界に目を向けていた久仁子氏は、

 「……もしかして、うちの技術って?」

と、及源のモノづくりの現状に疑問を持つことになります。

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