製造業で働いたことがない人が作った自転車マイクロモノづくり〜町工場の最終製品開発〜(4)(1/2 ページ)

モノづくりとは程遠い経歴を歩んできた2人がいかにして、1つの自転車ブランドを作り上げたかを紹介

» 2010年12月09日 11時00分 公開
[境 耕佑/enmono,@IT MONOist]
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 モノづくりは“その道何十年の人”でなくてはできないものなのでしょうか。単純にこんなものがあったらな、という強い想いからモノづくりはできないのでしょうか。今回は、モノづくりとは程遠い経歴を歩んできた2人がいかにして、日本輪業における技術の結晶ともいえる自転車を作り上げたかを紹介します。

シンプルであること

 まずは、その実物を見ていただきましょう。これが自転車「スカラバイク」の全体像です。

ALT スカラバイク

 一般的な自転車と比べてフレームが細く、変速機のないシングルスピード、後輪にはコースターブレーキを採用することで非常にシンプルなデザインになっています。しかし、見た目がシンプルであるからといって、その製造が容易であるというわけでは決してありません。むしろこのシンプルさを表現するためにこそ、日本輪業の技術の粋を集めているといえます。

 以降では、パーツごとに説明していきましょう。

ラグ

 自転車の命ともいえるものがフレームです。その中で最も重要となるのが「ラグ」と呼ばれる、フレームの管と管を結合する継ぎ手となる部品です。スカラバイクではこのラグを製造するに当たって、バルジ成形*1 を採用しています。このことにより、フレームの管を細くしても耐えられる耐久性と一体成型による美しさを両立させることに成功しました。

ALT スカラバイクの要となるラグの型(写真左がハンドルと前輪の間に位置するラグで、写真右がペダル部に位置するラグ)
*1 バルジ成形:
金属パイプの成形手法の一種。金属パイプを金型にセットした後、非常に高圧な液体を充填したパイプ内圧を高め、金型にあらかじめ仕込まれたピストンでパイプ両端から挟み込むように圧縮しながら型に沿って変形させる。


フォーク

 前輪を支える管のことをフォークと呼びますが、写真にあるように、スカラバイクのフォークは放物線型に曲がっていることが分かると思います。この曲線は職人の手によって1つ1つ手曲げによって作られています。見た目の美しさはもちろん、人の手でしか生み出せない連続的な曲線により路面から伝わる衝撃を吸収するクッションの役割も果たしています。

サドルチューブへの溶接

 次に、サドル部分のフレームの結合部に注目してみますと、ここはフィレット溶接によって仕上げられています。しかしその仕上がりは見事で、一体成型を感じさせるほどの見事な仕上がりとなっています。

各種細部へのこだわり(バルブキャップの削り出し、七宝焼きのロゴマーク)

 こだわっている部分はフレームにとどまらず、細部にも渡っています。例えば、ヘッドチューブ中央に位置するフンコロガシをモチーフにしたロゴマークは、日本の伝統工芸である七宝焼きを用いて作られています。ほとんどの人が気にしない、タイヤに空気を入れるバルブキャップやタイヤの袋ナットはアルミを削り出して作られています。

 ちなみに、古代エジプトではフンコロガシは復活の象徴と考えられており、その縁起の良さからロゴマークとして採用したそうです。社名の「scarabike」もフンコロガシを意味する“scarab”が由来です。

写真左:ヘッドチューブにあしらわれている七宝焼きのロゴマーク、写真右:タイヤを固定するためのアルミ削り出しの袋ナット

 ほかにも、革グリップ、ペダル、チェーン、ハンドルなど紹介したい職人たちの技術はたくさんありますが、詳細にご興味があれば、スカラバイクの公式ページをご覧ください。

 何より驚かされたのが、この日本のモノづくり技術の結晶ともいえるスカラバイクを作ったのが、製造業で働いた経験がまったくないという2人の男たちだったということです。

自分のやりたいことを100%実現させるためには起業するしかなかった

 スカラバイクを作った2人の男たち――スカラバイク 代表取締役 小池 洋成氏、同社 湯村 和哉氏――はもともとモノづくりの現場とはほとんど縁のない道を歩んできました。小池氏はイベント制作会社に、湯村氏は自動車査定や損傷見積もりを行う会社に勤務していました。そんな2人が、なぜまったく縁のなかったはずの自転車を作ろうと思いたち、そしていまに至ったかをインタビュー形式でお送りしようと思います。

スカラバイクの第一号製品であるsacer(サクレ)とともに写る代表取締役 小池 洋成氏(右)と湯村 和哉氏(左)

――スカラバイクを起業した理由は何ですか

小池:もともとモノづくりに対して、漠然とした憧れは持っていたんです。「何かを自分で形にして、それを売る」、そういう生き方もカッコイイなとは思っていました。ただ、(前職である)イベント制作も自分にとっては非常にやりがいのある仕事でしたし、一企業に属しながら、1人では成し遂げられないような大きい仕事を成功させることが自分にはあっていると感じていました。そんなとき、たまたま学生時代の先輩が自転車の面白さを教えてくれて、これを新規事業としてスタートできないかなと思って研究を始めたんです。研究を進めていくうちに、「このアイデアが収益を生むためには結構時間がかかりそうだな」って感じました。ですので、新しく会社を興してやるしかないなと思ったのです。

――なぜ湯村さんは一緒に仕事をすることになったんですか

湯村:3年ぐらい前に転職する機会があって、ある自動車メーカーのカタログを製作する会社から内定をもらっていました。それで、来月ぐらいから仕事を始めようというときに、親交があった小池から「一緒に仕事をしないか」と誘われました。もともと彼の性格も知っていたし、彼とならうまくいくと思ったので、一緒に働くことに決めました。

小池:2年ぐらい僕1人で仕事をしていて、これからこの会社を「メーカーのようにしていくのか」、それとも「商社のようにしていくのか」悩みました。結局、前者の「メーカーのように」したいと考えましたが、そうするとどうしても人手が必要になるだろうと思っていた矢先、ふとしたことがきっかけで、湯村が転職を考えていることを知り、誘ってみました。

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