Androidの成長と課題、その劇的な道のり金山二郎のAndroid Watch(2)(1/2 ページ)

金山二郎のAndroid Watchの第2回。Android回想の後半に当たる今回は、いよいよ登場したAndroidがたどった“道のり”について紹介。それは決して順風満帆なものではなかった!!

» 2011年11月24日 11時03分 公開
[金山二郎(イーフロー),@IT MONOist]

 連載開始に当たり、「Android」のこれまでの動向を振り返っています。前回は、Androidが登場するまでの流れをまとめました。

 携帯電話という特別な力を持つ業界において、Googleというやはり特別な力を身に付けた企業が次世代のソフトウェアプラットフォームとして送り出したAndroidは、いやが上にも注目の的となりました。単に携帯電話の内部のソフトウェアというだけでなく、「Androidフォン」としてスマートフォンの一翼を担い、今でも当たるべからざる勢いで成長し続けています。

 しかし、そんなAndroidも順風満帆ではなく、むしろ「よく転覆しなかった!!」と感心するほどの荒波を乗り越えてきました。Android回想の後半に当たる今回は、いよいよ登場したAndroidがたどった“劇的な道のり”についてご紹介します。

Androidの躍進

 最初にAndroidが大きく取りざたされたのは2007年11月、OHA(Open Handset Alliance)の発表でのことでした。OHAはGoogleが中心になって作られた団体で、Webページにはそれなりの大義名分が掲げられていますが、要するにAndroidを育てるために結託した団体です。当初、このOHAに加入できなかった企業はとにかく何らかの手段を講じて加入を試み、またOHAのメンバーに取り入ってAndroidに関わろうとしました。また、OHAメンバーを中心として、世界中でAndroidを製品レベルに持ち上げるための開発が起こりました。

 そして、OHAの発表から約1年を経た2008年10月22日に発売された「T-Mobile G1」を皮切りに、数多くのAndroid搭載携帯電話が製品化されることになります。Android搭載携帯電話は、まさに目覚ましいばかりの売れ行きを見せました。北米において、あれよあれよという間に「iPhone」を追い越し、「BlackBerry」を追い越してスマートフォンシェア1位の座を獲得してしまいました(図1)。

米スマートフォン市場で首位を獲得したAndroid 図1 米スマートフォン市場で首位を獲得したAndroid。米スマートフォン市場で独走態勢に入ったAndroid(Nielsen調べ)。2011年Q3では43%というシェアを獲得した。なお、ZTEの安価なAndroid携帯電話の売れ行きが好調なことから、2011年Q3の世界携帯電話出荷台数においてZTE単独でAppleを抜いたとも報じられた(IDC調べ)

 Androidはオープンソースを積極的に採用しており、OHAによる開発成果もオープンソースとして惜しげもなく公開されたため、開発者が飛び付きました。開発者サイトは大盛況となり、草の根の団体が幾つもできて各地で勉強会や発表会が開かれました。プラットフォームに対する技術的なモチベーションの高さという点でAndroidは特別で、これはAndroidの大きな推進力となりました。

 国内では、旧来のいわゆるガラケーとスマートフォンが今後どのようにシェアを分けあっていくのか熱心に議論されていました。ガラケーの命が長いと見る向きも根強くありましたが、結果的にはスマートフォンの攻勢は著しく、通信事業者はいずれも投資対象をスマートフォンに切り替えていきました。2011年9月27日には、NTTドコモが自社携帯電話の上位機種をスマートフォンで置き替えると発表。これにより、スマートフォンの将来が約束されました。さらに、現段階において、NTTドコモはiPhoneを扱っていませんので、すなわちこれは「NTTドコモとしてAndroidをメインに戦い抜く!」という決意表明にもなりました。

タブレット事件とその展開

 さて、順調な滑り出しを見せたAndroidでしたが、思わぬ出来事がAndroidはもちろんGoogle、そしてデジタルガジェットの分類まで巻き込んだ大騒動を引き起こします。「iPad」の登場です。

 2010年1月27日にiPadが発表されたその瞬間から、Androidは突貫工事を迫られました。何しろ、これまで存在しなかったタブレット市場がiPadによって構築されようとしているのです。そのiPadはiOSベースであり、iPodやiPhoneで培った経験と技術の集大成です。当然のことながら、GoogleとしてはAndroidで対抗するしか術はなく、「Android 3.x(Honeycomb)」はタブレット向けとして位置付けられました。そして、互換性や品質も含めて全てが急場しのぎであったためか、ソースコードを公開することなく開発・リリースが進められました。

 このタブレットの登場は、Androidのマイルストーンを根こそぎ変えただけではなく、Googleのデバイス戦略にも影響を与えました。そもそもGoogleは検索機能に広告をからめたビジネスモデルで成功した会社でした。それがクラウドを手掛けるようになり、次いでPC向けChromeブラウザ、Chrome OS、Androidと、クライアント側へそのカバー範囲を拡大していきました。しかし、タブレットの登場により、急きょタブレットへの対応を余儀なくされました(図2)。

タブレットの登場によるGoogleの戦略変更 図2 タブレットの登場によるGoogleの戦略変更。これは著者の予想が多分に含まれるが、Googleはこの際クライアント戦略をAndroidベースで作り直しているという見方ができる

 タブレットの影響はそれだけではなく、Chrome OSの適用先として期待していた層にも影響を与えました。わずか2年前まではネットブックという言葉はまだ健在でしたが、タブレットの登場により、ネットブックの購買層がタブレットの検討を始めてしまったからです。Chrome OS自体の開発は進められ、2011年6月15日に「Chromebook」として一般販売が開始されましたが、Android搭載タブレットの先駆けとなった「Galaxy Tab」が発売された2010年11月26日より半年以上も遅れての販売となりました。

 なお、この件の詳細は過去に拙稿にて記しましたので、適宜参照いただければと思います(参考記事)。

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