「どんな会社に入るか」 ではなく、変化に応じて自分が変われるかが重要――中央大学 竹内健教授著名人キャリアインタビュー(1/3 ページ)

東芝を代表する製品のひとつフラッシュメモリ。同社の技術者として多値化などの基盤技術の研究開発に携わり、フラッシュメモリ事業を世界トップクラスの主力事業にまで成長させたのが現在は中央大学で教授を務める竹内健氏だ。学生時代は大学に残って研究者になろうと考えていたが、ひょんなことから東芝に入社。物理から半導体設計へと研究対象を変え、その後もMBA(経営学修士)を取得するなど、柔軟に専門領域を広げてきた竹内氏が、理系学生に伝えておきたいキャリアに関するメッセージとは。

» 2013年05月28日 10時00分 公開
[MONOist]
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本記事は理系学生向けの就職情報誌「理系ナビ」2012年冬号の記事に加筆・修正して転載しています。



物理工学からフラッシュメモリ設計へ。現在も用いられる基盤技術を研究開発

 スマートフォンや携帯型音楽プレーヤーなどのデータ保存に欠かせないフラッシュメモリ。従来のハードディスクと比べて小型・軽量で、書き込み速度も速い。最近ではノートパソコンの上位機種に、SSD(Solid State Drive)というフラッシュメモリを組み合わせた記憶媒体が採用されるようになるなど、利用シーンはさらに広がっている。

 そのフラッシュメモリ開発において黎明期から中心的な役割を果たしてきたのが竹内健氏だ。竹内氏は1993年に東京大学大学院工学系研究科を修了し、東芝に入社。フラッシュメモリの研究開発に従事した。

 今でこそフラッシュメモリはパソコンや携帯電話などに使われ、東芝を代表する製品になっている。しかし、当時は事業の可能性は未知数で、使い物になる技術なのか見通しが立たない状況だった。

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 大学で物理工学を学んでいた竹内氏にとって、フラッシュメモリは専門外。入社後しばらくは「ボタン押し」が主な仕事。不良品として戻ってきたフラッシュメモリの不良箇所を突き止めるために、専門装置で回路の写真撮影を続ける日々だった。

 先輩の雑用を任されるだけの状況を打開しようと、独学で半導体設計を学び始める。しばらくは下積み生活だったが次第に認められるようになり、自身のアイデアが採用され始めたという。

 研究開発チームの人数はわずか3人だったが、当時の研究成果はかなりの部分、現在のフラッシュメモリにも基盤技術として使われている。

フラッシュメモリの研究所は閉鎖となるが、論文の発表を続け、特許も取得

 フラッシュメモリの記憶容量を大幅に増やし、実用性を高めた「多値化」の技術。これは竹内氏が研究開発した技術なのだが、多値化の研究に取り組んでいたころ、東芝は収益への貢献度が低かったフラッシュメモリの研究所を閉鎖。竹内氏は別の部署に異動となった。

 「世界で認められれば、会社も再評価してくれるのではないか」。その思いから、竹内氏は多値フラッシュメモリに関する論文を国際学会で毎年発表し、特許を取得。東芝のフラッシュメモリ事業を飛躍させる礎を築いた。

 その後、フラッシュメモリは事業化に成功し、東芝の屋台骨を支える事業にまで成長する。一方、それまでの主力製品だった半導体メモリのDRAM市場では韓国メーカーが台頭。これ以上はDRAMで勝負できないと考えた東芝は、DRAMからの撤退を決意した。

 DRAMに関わっていた社員は、そのままフラッシュメモリの事業部に異動。竹内氏をはじめ、若手社員中心だったフラッシュメモリの部署に、DRAMで経験を積んできたベテラン社員が加わることになった。

 そんな状況を目撃した竹内氏。「3〜5年先くらいまでは何とか見通せるかもしれないが、それより先はどうなるかなんて分からない。何十年も先まで同じ仕事を続けられるかなんて会社にも保証できない現在、自分のキャリアは自分で考えて作っていくことが大切」と指摘している。

 「自分のキャリアパスは会社に任せきりにするのではなく、自分で考えるしかありません。『このスキルを身に付けるために、この部署で3年は頑張ろう』といったことを考えながら、キャリアを自分で作っていかないといけません。会社というものは『頼るもの』『守ってくれるもの』ではなく、自分を鍛える場だと割り切って生きることが大事なのではないでしょうか」

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