働くロボットの森――ソーラーフロンティア、量産効率で勝つ21世紀型国内工場の姿小寺信良が見たモノづくりの現場(8)(5/5 ページ)

» 2013年09月13日 13時00分 公開
[小寺信良,MONOist]
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過去に類を見ない大転換に成功

 この工場は、もともとソーラーフロンティアが建てたものではない。そもそもは富士通の半導体工場であったが、プラズマディスプレイの製造に乗り出すということで、大きな建屋を1つ拡張した。その後1999年に日立製作所と富士通の合弁で、プラズマディスプレイの生産を拡張するということで、もう1つ建屋を作った。これで現在の原型となる建屋が完成した。

 ところが2008年に富士通がプラズマ事業から撤退し、日立製作所単独のプラズマ工場となった。さらに日立も1年足らずでプラズマ事業からの撤退を決めたことで、この工場が売却されることになった。

 ソーラーフロンティアは当時、宮崎県清武町に第2工場を稼働させ、さらなる増産拠点を探しているところだったため、いいタイミングでこの巨大工場を譲り受けた。土地・建屋と一部従業員を譲り受けて、たった1年半で全然違うものを作る工場に転換するという、一大プロジェクトであった。

 大きなガラスを扱うという点では似ているが、製造プロセスで共通項は1つもなく、技術的な応用もない。建屋と空調などの基本設備を残し、内部は総入れ替えとなった。許認可の都合で建屋の改造も許されないため、"既成品の服に無理やり体をねじ込む"ような作業であったという。

 製造装置の搬入や設置、さらに新しい製造プロセスの研修、調整など、旧日立プラズマディスプレイとソーラーフロンティアの社員が、1年半まさに寝食を共にする勢いで一緒に立ち上げを行ったことで、深い絆(きずな)が生まれた。また、残る決断をした日立の社員も優秀だった。第2工場からも相当のスタッフが参加し、相当の数の問題と戦っていった。このスピードで生産開始にこぎ着けることなど不可能といわれていたが、このミッションを見事クリアし、2011年2月から一部のラインで生産を開始した。

大量生産で日本が勝つ

 日本のモノづくりにおいては、日々の「カイゼン」が求められる。その多くは人的プロセスの最適化という側面が強いが、完全自動化を実現した工場だからといって、日々のカイゼンがなくなるわけではない。

 自動で動く機械であっても、それが自動で動き続けるようになるというのは、実は大変な調整が必要である。動いたら動いたで、他の機械とのタイミングのズレ、摩耗、劣化、変形、過負荷、電気系統のトラブルなど、いつか必ずどこかが故障する。メンテナンス以外に、リスクマネジメントも必要だ。

 そしてまともに動いた後で、初めてその中でどうやってパフォーマンスを上げていくかという話になる。機械に待ち時間が発生したら、どこにボトルネックがあるのか。その時間はどうやったら詰められるのか。5秒間に1枚というペースで製造を行っていても、まだまだパフォーマンスが上げられる余地があるという。

 新世代の太陽電池製造とは、例え人件費が高くても、日本人がノウハウを持っている以上、日本で作る以外に考えられないタイプのモノづくりである。大量生産で日本が勝つという、もう過去数十年なかった展開がありうる分野なのだ。

筆者紹介

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小寺信良(こでら のぶよし)

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

Twitterアカウントは@Nob_Kodera

近著:「USTREAMがメディアを変える」(ちくま新書)




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