海外市場参入の成功の秘訣は「良きパートナーづくり」――埼玉、新潟、岐阜の3企業大学教員は見た! ニッポンの中小企業事情(5)(1/2 ページ)

中小企業の海外市場参入が増えてきているが、具体的な成果を挙げている企業はまだ少ない。本稿では海外市場参入に成功した3企業を紹介する。

» 2013年10月31日 10時00分 公開
[山本聡/東京経済大学,MONOist]

 昨今、モノづくり中小企業の海外市場参入に関する話題がよく聞こえてきます。機械部品、食品、伝統的地場製品など業種を問わず多彩です。筆者は「中小企業の国際化」をテーマに中小企業の取材に伺っているのですが、政府の政策的支援が充実したこともあり、多くの経営者が海外展示会や国際商談会に参加するようになったと感じています。数年前と比べると隔世の感があります。ただし、必ずしも全ての企業が華々しい成果を挙げているわけではありません。むしろ、何らかの具体的な成果を挙げることができた中小企業は、全体ではいまだに少数派なのが現実でしょう。

 それではモノづくり中小企業は、どうすれば円滑に海外市場に参入することができるのでしょうか。筆者は「海外展示会に参加するだけでは不十分である」「展示会参加からさらに一歩二歩踏み込み、国際的な『パートナーづくり』をすることが必要である」と考えています。

 本連載第5回では、良きパートナーを作り、海外市場参入に成功した埼玉と新潟、岐阜の企業を紹介していきます。

1.成功の秘訣はトップが海外にいくこと――埼玉・MIKAMI

 MIKAMI(埼玉県所沢市)は茶畑の広がる牧歌的な雰囲気の工場団地内に居を構えています。

 その創業者は、

「三上の親父に頼めば、どんな難題にでも答えてくれる」

と機械・金属業界でも評判の技術者でした。

 ある大手自動車メーカーの創業者自ら1人でバイクに乗り、部品加工の依頼にやってきたという逸話もあるくらいです。

MIKAMIの工場内にて:(右)三上誠氏、(左)ドイツのパートナー

 MIKAMIの2代目社長の三上誠氏は東京にある私立大学の生産工学部を卒業後に同社に入社。初代社長の急逝を受け、事業を引き継ぎました。もともと、自動車関連の仕事が多かったのですが、三上氏の方針で建設機械や光学機器、医療機器に関する精密金属加工も手掛けるようになり、アメリカ系電子部品メーカーの日本現地法人A社にも半導体保護用ヒューズやプロテクター、センサーの部品を供給し始めます。

 しかし、A社はやがて日本から撤退。MIKAMIはA社の中国現地法人に直接輸出をするようになりました。晴天の霹靂(へきれき)で海外業務を手掛けるようになったため、埼玉県産業振興公社に通い、貿易業務のイロハを学びました。その延長線で公社が主催する海外視察にも参加しました。また、さいたま市が推進するドイツとの地域間交流支援事業にも参加し、2010年6月にドイツで個別商談会に参加、同年11月に埼玉県産業振興公社の企画でドイツの展示会にも出展しました。

 こうした中で、あるドイツ企業から「手術用ロボットアームの部品」を受注し、直接取引を開始するに至りました。なぜ、そんなに短期間で取引を実現できたのでしょうか。

 その成功の秘訣として、三上氏は、

「経営者自らが海外に行き、相手の企業を訪問すること」

と述べています。

 三上氏は自らの足で海外に赴くことで、海外市場参入につながるパートナーを作ったのだといえるでしょう。

2.モノづくりへの思いは国境を越える――新潟・日野浦刃物工房

日野浦刃物工房の代表 日野浦司氏:工場内にて

 日野浦刃物工房(新潟県三条市)は創業明治40年の老舗刃物メーカーです。現社長の日野浦司氏は高校卒業後、三条市内の商社で営業担当者として働きます。最初は家業を継承する意思はなく、営業担当としての職務に邁進(まいしん)していました。しかし「家業を継ぐように」という父親からの強い要望があり、実家に戻ることを選択しました。

 当時の刃物業界では「いかに機械で効率的に刃物を製作するか」が業界のトレンドになっていました。しかし、日野浦氏は「いかに職人の手の技術を刃物製作に介在させるか」に傾注することを決断します。そこには一品物(いっぴんもの)の高級な鉈や包丁、ナイフの市場は決してなくならないという強い思いがあったのです。

 日野浦氏が海外に目を向けたのは2005年からです。もともと、前職の商社の経験から、「いつかは海外でビジネスがしたい」という強い思いを持っていました。それに加えて、刃物業界を取り巻く流通事情が急激に変化していく中で、

「何か新しいことをしなければいけない」

と考えるようになっていきました。

 そんな時に、地域の公的機関から「ドイツの展示会に出展しないか」と声をかけられ、即座に参加を決断します。海外展示会のため、「紋様入りの包丁」を製作・展示したところ、評判になり、幾つものドイツ企業が興味を示しました。その1つに、同じく150年以上の歴史を誇り、「手によるモノづくり」を強く志向する、ドイツの刃物メーカー B社がありました。日野浦氏はB社の女性社長と意気投合し、お互いの会社を行き来し、お互いの「モノづくり」への思いを共有していったのです。その結果、B社は日野浦刃物工房の欧州における代理店となり、日野浦工房は欧州を始めとする海外市場に販路を拡大していったのでした。

B社の女性社長を取り上げたドイツの新聞
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