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» 2015年12月03日 10時00分 UPDATE

そして少年は自動車エンジニアになった(立志編):すし屋を諦め転職を繰り返した若者はなぜ自動車の生産技術者になれたのか (2/3)

[越光人生,MONOist]

登用

 私と一緒にトキヲタ自動車株式会社の期間社員として採用された人数は200人。本社地区の工場と地方の工場に割振られました。

 10カ月間の契約期間を終えて、正社員への登用試験を受験した人数は20人でした。姿が見えなかった180人の大半は10カ月の間に辞められたそうです。

 私自身にとっても、週単位で昼夜が逆転する二交代制の流れ作業は心身ともに厳しく、慣れないうちは睡眠不足になりがちで体調管理が大変でした。

 登用試験の結果、合格者は私を含めた5人でした。

 自動車業界における期間社員の離職率は非常に高く、さらには正社員への登用率が非常に低い中、正社員に登用された人数としては多い方だと思います。

 合格通知が届いた日が妻の誕生日でした。合格通知が届かなかった方には申訳ありませんが、妻の両親からも結婚を許していただき、家族との安定した生活が始まりました。

 1986年の初春。

 私の人生にとっての冬が終わりました。

転機

 期間社員から正社員への登用に際して異動は無く、同じ職場となる車両組み立てラインでドアの組み立てを行うことになりました。

 最初は、自分の任された領域の組み立てをミス無く行うことに専念しておりました。

 しかし、次第に前工程のミスを発見し手直しをする余裕が持てるようになり、さらには後工程の人が仕事をしやすいように段取りを考えて仕事をするようになりました。

 このことを職長に話すと「俺達が流れ作業の中で組み立てるのは1枚のドアにすぎないが、お客さまにとっては大枚をはたいて購入したクルマの一部だから、お客さまに購入したことを後悔させるような仕事はしたくないよなぁ。たかがドア。されどドアだ」との教えをいただきました。

「たかがドア。されどドアだ」と教えられる若き越光

 ふと……。

 祖母の教えと重ねた瞬間でもありました。

 正社員への登用から4年の歳月が経過し、流れ作業にも慣れたころのことです。トキヲタ自動車株式会社が社内で開校している短期大学を受験してみないか、と職長から声が掛かりました。

 勉強しながらお給料をいただけるとのことで行く気満々で勉強を開始したものの、受験1週間前に迫った時に、年齢オーバーで受験できないと職長から告げられ、落ち込みました。落ち込んでいる私を見かねた職長から、新規開発車両の育成業務の話があり工場の代表として生産技術に行ってみないかと声が掛かりました。この背景には、新工場の設立と新工場で生産する高級車の新規開発の計画が秘密裏に進められていたもとがありました。

 今から思えば、年齢オーバーで受験できない短期大学を薦めたことの罪滅ぼしだったと思います。

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