「ひとみ」はなぜ失われたのか(前編) 衛星を崩壊に導いた3つのプロセス(1/4 ページ)

信頼性の高さを誇ったはずのX線天文衛星「ひとみ」はなぜ、打ち上げ1カ月あまりで崩壊に至ったのか。まずはその過程を確認、検証する。

» 2016年07月08日 07時00分 公開
[大塚実MONOist]

 打ち上げからわずか1カ月で重大な事故を起こし、運用断念に追い込まれたX線天文衛星「ひとみ」(ASTRO-H)。日本の宇宙開発でも有数といえる今回の大失敗は、どうして起こったのか。もちろん、衛星自体の設計や運用にも問題はあったのだが、ひとみの事故を詳しく見ていくと、浮かび上がってくるのは、背景にあった組織的な要因だ。

 ひとみを開発したのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の一部門である宇宙科学研究所(ISAS)。ひとみはISASが開発した最大の科学衛星で、重量は約2.7トン。軌道上で展開した後の全長は約14mにもなる。ISASの科学衛星としては初めて、フル冗長構成の衛星バスを採用しており、信頼性の高さがウリのはずだった。

X線天文衛星「ひとみ」(CG by Go Miyazaki) X線天文衛星「ひとみ」(CG by Go Miyazaki)

 衛星を破壊するほどの事故はなぜ起きたのか。まずこの前編では話の前提として、事故の事実関係を淡々と積み上げ、ひとみに何が起きたのかを詳しく見ていくことにしよう。その後、中編・後編と続け、さらに深く掘り下げることにしたい。

異常1:ゆっくりと回転を開始

 ひとみの事故が発生したのは2016年3月26日。事故のきっかけになったのは、衛星の姿勢決定に使われるスタートラッカ(STT)という装置の異常動作だった。

ひとみの姿勢制御で使われるコンポーネント(JAXAの「X線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」異常事象調査報告書」より抜粋、以下同じ) ひとみの姿勢制御で使われるコンポーネント(JAXAの「X線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」異常事象調査報告書」より抜粋、以下同じ)

 スタートラッカは、光学カメラで宇宙空間を撮影し、視野内に見える恒星の配置から、衛星の姿勢を推定する。私たちも星空を眺めて、北斗七星が見えたら方角が分かるだろう。原理はこれと同じで、搭載した恒星カタログとのパターンマッチングを行うことにより、高精度に姿勢を推定することが可能だ(ひとみの場合、精度は8.8秒角)。

 スタートラッカは高精度という長所がある反面、地球を向いて星が見えない(地触)ときは使えない、条件によっては精度が悪化する場合もある、更新頻度が遅いといった短所もあるため、姿勢決定には慣性基準装置(IRU)という別の装置も使われる(ひとみの場合、スタートラッカは4Hz、IRUは32Hzでデータを出力する)。

 IRUはジャイロなので角速度を検出し、その時間積分により姿勢角を計算する。IRUは信頼性が高いものの、必ずバイアスを持つため、長時間経過すると誤差が累積して大きくなるという欠点がある。そのため、ひとみでは基本的にIRUの出力を衛星の姿勢として採用しつつ、補正にスタートラッカを使うという考え方になっていた。

 ひとみでは、スタートラッカとIRUの情報をもとに、カルマンフィルターを使って、バイアスの大きさを推定。この推定値を使ってIRUの出力を補正することで、スタートラッカの出力が無いときでも、姿勢を正確に推定できるはずだったのだが、今回、問題を起こしたのはこの部分だ。

 ひとみは観測対象を変えるため、2016年3月26日3:01から約21分間かけ、姿勢変更を実施。4:09ころスタートラッカを起動し、4:10ころデータ出力を開始した。ここでカルマンフィルターを初期化し、一時的にバイアス推定値が大きくなるのだが、通常はすぐに収束する。ところがこのときは、直後にスタートラッカがリセットされ、出力が止まってしまった。

グラフ中の青線がバイアス推定値。スタートラッカの出力が止まり、赤線の部分で高止まりしてしまった グラフ中の青線がバイアス推定値。スタートラッカの出力が止まり、赤線の部分で高止まりしてしまった
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