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» 2017年07月07日 14時00分 UPDATE

中小企業イベントレポート:まるで下町ロケット! 大企業を捨て町工場を継ぎ手にした“ワクワク”する生き方 (1/3)

東京都の下町、葛飾区にある小川製作所の小川真由(まさよし)さん。新卒で大手重工業メーカーに就職するも、家業を継ぐために中小企業に転職して修行。現在、メーカー勤務時代に習得した設計技術と、修行時代に培った営業力を生かし、家業の町工場を切り盛りしている。一体、なぜ町工場を継ぐ道を選んだのか。就職活動を控えた学生たちを前に、小川さん本人が語った。

[辻村祐揮,MONOist]

 2017年6月22日、東京理科大学の葛飾キャンパスで、モノづくりが好きな学生と町工場をつなぐことを目的としたイベント「モノづくりジャンクション」(TOKYO町工場HUB主催)が開催された。同イベントでは、小川製作所で営業技術取締役を務める小川真由(まさよし)さんが、就職活動を目前に控えた東京理科大学の学生たちに向けて講演。エンジニアとしてのキャリアを考える指針を示すため、自身の半生について語った。

小川製作所の小川真由さん

 小川さんの略歴は次の通りだ。大学院では宇宙工学を専攻し、宇宙輸送機について研究。その後、新卒で大手重工業メーカーに入社し、航空宇宙部門で設計エンジニアとして従事するも、一転、中小企業での修業期間を経て家業の町工場を継ぐ――。その人生の歩みは、池井戸潤氏が著した小説「下町ロケット」の主人公、佃航平を彷彿(ほうふつ)とさせる。小川さんは今、ある大望を抱いているのだが、大きな夢を持ってモノづくりに励んでいるところも佃航平と似ている。

 だが、2人には違いもある。佃航平がロケット打ち上げ失敗の責任を取らされ、家業を継がざるを得なかったのに対して、小川さんの場合は自らの意志で、家業を継ぐことを決断した。そんな小川さんの物事の捉え方は実にユニークだ。「企業勤めを辞めてからは、将来がはっきりと見通せないときもあった。だが、先行きに不安を抱いたことは一度もない。むしろ、未来を切り開く面白さにいつもワクワクしている。修業期間が最も“お先真っ暗”な頃で、上がるか下がるか分からないジェットコースターに乗っているような感じだったが、その時はそのスリルを楽しんでいた」(小川さん)。

 大企業、中小企業を経て、最終的に家業の町工場を継いだ小川さん。なぜ町工場を継ぐ道を選んだのか。大企業での勤務に何の不満があったというのか。継いだ今、後ろ髪を引かれる思いは全くないのか。小川さんは講演で、自身の人生を振り返った上で、エンジニアとして生きる選択肢が1つではないことを、若きエンジニアの卵たちに伝えた。

(左)小川さん、(右)TOKYO町工場HUB、代表・オーガナイザー 古川拓氏。東京理科大学の学生たちに向けて講演(クリックして拡大)

最初の就職活動、家業は継ぐ気なし

 小川さんが取締役を務める小川製作所は東京理科大学から南に4〜5km離れたところ、JR小岩駅の近くにある。創業は1953年。当時は学校給食が制度として始まり出した頃で、小川さんの祖父が戦争から帰ってきて、ガス炊飯器やそれに付随する装置を製造する事業を起こした。

小川製作所の会社紹介(クリックして拡大)

 だが、1980年代に入ると厨房機具の需要が下火となったため、建築資材や一般汎用板金加工の請負を開始。小川さんが家業を継いだ2012年からは、3次元設計、図面の作成、精密機械部品の加工、研磨や溶接などに仕事の幅を広げた。パート含め従業員6人という小さな会社だが、設計解析や機械加工、板金加工などを手掛ける50〜60社のパートナー企業との横のつながりを大切にし、顧客の要望に応えている。

 小川さんの大学院での専攻は宇宙工学だった。当時、力を入れて取り組んでいたのは、高速船の上から「サブオービタル宇宙飛行機」を飛ばす研究だ。「サブオービタル宇宙飛行」とは、人を乗せて高度100kmの地点に一気に上昇し、宇宙空間をしばらく遊泳した後、周回軌道に乗らずに戻ってくること。民間人の宇宙飛行体験を可能にする技術として期待されている。

大学時代の研究テーマ(クリックして拡大)
茨城県の小貝川で実施したラジコンでの実験(クリックして拡大)

 小川さんは当時、飛行経路や機体形状の最適化計算の他、宇宙飛行体験の市場予測やコスト計算の研究に励んだ。また、本当に航行中の船から宇宙飛行機を飛ばせるのか、ラジコンを使った実証実験も行った。その後、研究に没頭できた日々は終わりを告げる。

 就職活動の時期、小川さんに迷いはなかった。というよりも、その時はあまり真剣に自身のキャリアについて考えていなかったとのこと。就職先は富士重工業(現SUBARU)に決めた。それは、「せっかく大学院で宇宙工学を研究していたのだから、取りあえず航空宇宙関係のエンジニアとして働いてみよう」という軽い気持ちからだった。この時はまだ、家業の町工場を継ごうという思いは芽生えていなかったという。

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