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» 2018年07月06日 09時00分 公開

ママさん設計者と考える「モノづくりキャリア」(前編):「何をしてきたか」ではなく「何ができるか」、これからのモノづくりキャリア (1/2)

設計者になるまで紆余曲折があった「ママさん設計者」こと藤崎淳子氏だが、現在は未来を支えるモノイストである児童や学生たちの教育に取り組む。藤崎氏と一緒に、これからのモノづくりキャリアについて考えていこう。

[藤崎 淳子/Materiai工房テクノフレキス,MONOist]

 皆さんこんにちは! Material工房・テクノフレキスの藤崎です。私は、設計業という本職の傍らで2017年から地元の「キャリア教育推進協議会」の委員を務めています。ここは、産・学・官それぞれに携わる複数の委員で構成され、これからの日本経済を担う現在の児童や生徒に向けて、各委員が専門分野を生かしたアプローチで「生きる力」を育くむ活動をしています。早い話が「将来、自分で食べていく力を身につけるための道しるべを見つける支援をする組織」です。この組織の中で私は、モノづくりを手段として、学校で学ぶことと社会での生産活動を結び付ける指導に取り組んでいます。

南箕輪中学校(長野県上伊那郡)で生徒に指導する筆者

 キャリアとはラテン語で「轍(わだち)」を指し、経験を通して生きていく道筋をつけることを意味しています。この本質は、人は社会生活において、学習や仕事を通して自分で考え判断して行動できる「自発」と「自律」を養う義務があるということ、その過程で形成される個々のキャリアが日本の生産力につながるということです。これは、キャリア教育に携わる前から私自身がなんとなく感じてきたことと一致しています。

紆余曲折あったママさんのキャリアと時代背景

 ところで、私は現在に至るまでの間、自分でも指折り数えないと分からないほどの回数の転職をしてきました。1980年代前半、私の社会人生活は機械商社からスタートし、その後1度転職して、製造業界に10年ほど身を置きました。

 この10年は激動・激変の時代で、プラザ合意(※)までは日本経済は安定成長期にあって伸びしろも大きく、製造業には勢いがありました。とにかく工具も機械も材料もよく売れたのです。プラザ合意後にそれが一転し、超円高の影響による急速な景気後退で、売上の大幅減少と取引先数社の倒産も経験しました。製造業を取り巻く空気の温度は、プラザ合意を境に数年のうちにどんどん冷えていったのです。

※ プラザ合意(Plaza Accord):1985年9月、先進5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)で討議された、当時の過度なドル高を是正することを目的とした一連の合意事項のこと。名称の由来は米国ニューヨークのプラザホテルで会議が開催されたことから。

 超円高は大手や中堅企業の海外進出を進めていき、いわゆる「産業空洞化」という深刻な現象に頭を痛める中小企業は、生き残るために知恵を絞ることになりました。そうして「失われた○○年」といわれる現代に至るまで、私たち製造業は存続をかけて知恵を絞り続けているのです。私は、特に移り変わりの激しかった昭和末期から平成初めの期間に製造業に身を置いたことで、学校では教えてくれない政治や経済の生々しさを体験することになり、それが今につながる道筋になったのだと感じています。

 産業空洞化が進む中、出産を機にプラスチック加工品商社を退職してからは3年ほどMLM(マルチレベルマーケティング)を仕事にしていました。いつも使用するプロフィールではだいぶ端折っていますが、この他にも過去に飲食業やエステティックサロンといった、製造業とは無関係な業種でも働いた経験があります。私は、どんな仕事に就いていても、自分の中には「常にサービス業であれ」という小さな理念を持っていました。これは今でも変えていません。ですから、私にとっての転職とは、サービス業としての手段が変わることでした。

働くということ

 そもそも「働く」ということは、時間と労力を提供した見返りにお金をもらうことだけではなく、それを自分の経験値に換えてどんどん積んでいくことを考えなくてはいけません。20代の若いうちは、べつに自分がその気にならなくても、脳がまるで乾いたスポンジのように働いて勝手にどんどん新しい知識や情報を吸収していきます。しかもこの時期に吸収したものはなかなか忘れることがありません。

 しかし年を取るにつれて、その能力はだんだん衰えていって、そのうち新しいことを覚えることすら億劫(おっくう)になってしまいます。人間ってそういう生き物なのです。だから自分の年齢に関わらず、仕事に就いたらまず「この仕事を自分のものにしよう」と自発的に取り組む気持ちが大事なのです。そういう姿勢で取り組んで身につけたことは、その後の全てに応用できるスキルとして、“引き出しを作っていったんしまっておく”ことができるはずです。

 もしも、「この仕事を自分のものにしよう」だなんて到底思えない、自発的な行動なんかできないとしたら、さすがにそれは適職ではないかもしれません。現在、私は自分をサービス業と位置付けて、それを提供する手段として現在製造業界に身を置いていますが、自分のこの心理に気が付くまでは「働く=食い扶持を稼ぐ」という考えしか持っておらず、紆余曲折ありました。その中で感じたことですが、働く意味と手段を明確にできないまま職を転々とするだけでは、特定の実務での経験値は上がりませんが、「生きるための引き出し」を増やすことはできるはずです。過去の経験は何一つムダにしない、というか、ムダな経験など無いのです。

 そこで考えたいのは「全ての職業はまずサービス業であれ」ということです。その観点からなら、働くことの意味も自分の社会的役割も少しは見えてくるはずです。観点を変えても「どうしてもこの仕事は自分に合わない」と判断するしかないなら、自分のため会社のためにも早々に転職するべきです。

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