労働価値の変遷 〜Human Cloudという考え方〜本田雅一のエンベデッドコラム(2)(1/2 ページ)

モノづくり現場を数多く取材してきたジャーナリスト・本田雅一氏による“モノづくりコラム”の新連載。テクノロジーを起点に多様な分野の業界、製品に切り込んできた本田氏による珠玉のエピソードを紹介しつつ、独自の鋭い視点で“次世代のモノづくり”のヒントを探る。(編集部)

» 2010年12月27日 12時00分 公開
[本田雅一,@IT MONOist]

「Human Cloud」って?

 海外に住む知人から、最近、シリコンバレーで「Human Cloud」というキーワードが話題になっているとの話を聞いた。クラウドコンピューティングの考え方、手法をマンパワーにも応用しようというものだ。

 初めてこの話を聞いたときには、冗談で「仕事を細分化、分類化して、仕事のタイプごとに適したグループに仕事をオークションで販売し、自動的に人とマッチングかけて割り当てる」なんてことを笑いながらいったのだが、どうやらまんざら100%冗談ともいっていられないようだ。

 セールスフォース・ドットコム(以下、セールスフォース)は、Human Cloudに関して具体的な製品計画まで持っているようだ。セールスフォースの製品には、多様な形態での従業員の雇用や管理、仕事の割り当てと進ちょく管理、複数の異なる組織や個人を結び付けて仕事を効率化するためのツールなどで構成され、個人だけでなく組織も結び付けて、密な連携で1つの仕事をこなす。

 セールスフォースの思惑はともかく、この考え方を基にすれば、新しいワークスタイルが確立されるかもしれない。現時点では、サンフランシスコ周辺に多いデザイン/デジタルコンテンツ制作/プログラミングなどのスペシャリストをネットワーク化して必要なときに必要なだけオンデマンドで人を調達するやり方にとどまっている。このように外注しやすい知的労働であれば、確かにクラウド的な考え方で仕事を発注できそうだ。

 仕事をこなすのに十分な時間のある人、仕事を欲しがっている人が受けるのだから、発注する側にはコストが安いという利点もある。しかし、このやり方が本当に定着してくれば、各ロールのコストは確実に値切られるようになるだろう。

 クラウドの中におけるサーバのように、空き時間なしに仕事が割り当てられるから(いい換えれば働き続けるから)時間単価はその分安くなる……、なんてことをいわれるようになったら、果たして知的生産能力のある各分野のスペシャリストの価値というのは、どこでどう評価してもらえるようになるのだろう。

 この話題の中で別の友人は「Human Cloudなら、すでに中国にあるじゃないか」といったが、まったく冗談にもならない話だ。しかし、特にモノづくりやコンテンツ制作などの分野において、労働力の価値評価をめぐる何らかの変化が起き始めていることは、何もモノづくりに携わる人間だけでなく、さまざまな分野で多くの人が感じ始めているのではないか。

一般論としてのHuman Cloud

 Human Cloudという話題から多くの方が想像するのは、将来の雇用への不安だろう。いままでは何らかの分野で秀でた能力を持っていれば、職にあぶれる心配などする必要はなかった。第一線で働いている方ならば、少しばかり不景気でも自分は大丈夫という自信を持っている人は多いと思う。

 そもそも、ありとあらゆる仕事をHuman Cloud的に処理できるわけではないが、この考え方がもっと進んでいくと、知的労働で日々の糧を得ている人たちの競争は激化し、本当にユニークな能力や知識を持っている人でなければ差異化がしにくくなる。

 新しい考え方によるワークスタイルが確立されるまでには時間がかかるだろうが、まったくの絵空事とも思えない。目の前にいるライバルどころか、これからはインドや中国のエンジニアたちと競合していなければならないとすると、果たして一個人の能力だけで競争力を出していけるだろうか?

 実際には、より高い付加価値を生み出すには、仕事の内容や進め方に関して密な連携を行い、共通の意識を持つことが求められる。日本ではコストカットを目的に、かつて日本企業が得意とした「コンセンサス型」の経営が影を潜めているが、その一方で成功している海外企業を見ると、(日本のコンセンサス型経営とは別のアプローチで)コンセンサス型の企業運営をしていることが見える。

 例えばアップルなどは、スティーブ・ジョブズという一個人の考えやコンセプトだけで企業が動いているように見えるが、実際にはスティーブ・ジョブズの考え方を社員全員が共有しながら自発的に“ジョブズ的”な製品やサービスを、社員が自発的に生み出すという意味で「コンセンサス型」といえるだろう。

 話が少々横道にそれたが、Human Cloudの本来の目的やコンセプトから離れ「知的生産活動のインターネット活用による場所からの開放」という点に注目するなら、人間をネットワーク化していく際の質や量(ここではコミュニケーションの“帯域”と呼びたい)がネックとなり、結局はごく一部の業務しかHuman Cloud化できないのでは? と思う。

 そもそも、細分化してインターネットを通じた多くの人間が協業するとなると、仕事の管理が煩雑になり、効率化と複雑化の狭間で悩みを抱えることになりそうだ。すなわちHuman Cloudという考え方は、将来のワークスタイルを象徴するキーワードになるかもしれないが、世の中が急変することもない。コストを下げるのであれば、複雑化は逆行する方向だから、クラウド的に仕事を分散させるにも限界がある。

 ただし、コミュニケーションの帯域が広がれば別だ。国をまたがり、タイムゾーンの違いを超えて人々が共同作業を効率的にこなす技術やアプリケーションが確立されれば、いつかは笑えない話になる可能性はある。

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