どうなる!? 日本の有機EL技術〔前編〕ただの撤退ではない日本企業のしたたかな知財戦略を見る知財コンサルタントが教える業界事情(6)(2/3 ページ)

» 2011年09月09日 12時00分 公開
[菅田正夫,@IT MONOist]

製造技術から見た有機ELディスプレイ

 有機EL素子の基本構成は、基板側アノードを透明電極にするボトムエミッション型と、基板側アノードを反射電極にし、上部側カソードを(半)透明電極にするトップエミッション型があります(図2)。

図2 図2 有機ELの素子構造

 各層を積層する基本的な方法には蒸着法と塗布法があり、真空装置を用いない塗布法の方が安価に製造できます。しかしながら、塗布法の採用を推進している企業でも、過渡的には下層を塗布法で製造し、積層する上層を蒸着法で製造することも行われているのが有機EL製造技術開発の現状です。

 サムスンの有機EL製造法の最大の特徴は、2005年のSID*で公表したレーザー転写法(LITI法)で、大面積・高精細を実現したことにあります。この製造法は3M(特許権者:スリーエム イノベイティブ プロパティズ カンパニー)やNECの出願特許群の譲渡を受けて、サムスンモバイルディスプレイ(日本特許の出願人名:三星モバイルディスプレイ)が実用化しました。この方法では、RGBの各色を発光する成膜部分を選択的にレーザー照射し、マスクレスでのパターニングを実現しています。

 同様のレーザー転写法はソニーでも採用されており(LIPS法)、2007年のSIDで公表されており、それぞれが特許出願されています。サムスンが実用化したLITI法がサムスンの独自開発技術でないことは、特許電子図書館(IPDL)の経過情報検索を利用すれば確認できます。

 レーザー転写法の採用で、大型パネルの製造を阻害していたシャドーマスクのゆがみによるパターン精度の低下を防ぐことができます。そして、正孔輸送性材料や電子輸送性材料などのパターニングせずに、全面塗布する有機材料は従来と同じ蒸着法を用いても差し支えありません。


Society Information Display 電子ディスプレイ関係の国際的な学会。


日本の材料メーカーが、韓国企業の有機ELディスプレイ事業を支える

 技術開発を経験した方々はご存じのことですが、「評価できないモノ」を作ることは困難です。

 ですから、日本の有機EL材料メーカーは各社とも有機EL材料評価用素子を試作し、有機EL材料と積層方法との適合化を図りつつ、有機EL材料開発を進めてきました。一方、日本の大手電機系企業は有機EL材料を合成できる部門を抱えていますので、材料メーカーに対して、有機EL素子構造や製造方法に適した有機EL材料の提供を求めるという構図になっていました。

 このような材料メーカーと電機系企業の切磋琢磨の関係が、日本の有機EL材料開発の進歩を支えてきました。

 液晶ディスプレイで、ディスプレイ製造の経験を積んだ韓国企業ですが、有機EL材料(発光材料、電子輸送材料、正孔輸送材料)などは日本の化学メーカー(出光興産、住友化学、東レ、チッソ、保土谷化学など)から供給を受けています。例えば、2011年8月の保土谷化学の連結子会社SFC社(韓国)とサムスンモバイルディスプレイ(サムスングループで有機EL事業を担当)との業務提携報道もその一例です。

 一方では、韓国政府は液晶ディスプレイと同様に、自国の有機材料メーカーや製造装置企業の育成支援事業を行っています。このような背景もあり、 LGは2010年12月に有機EL事業から撤退するコダックから、事業と知的財産権の利用権に関する譲渡を受けています(コダックは自社の有機ELに関する知的財産の利用権は確保して、米国政府からの技術開発資金援助を受けた有機EL照明事業開発にシフトしています)。

 2009年6月に、LGは出光興産と有機ELで戦略的提携を締結していることもあり、2010年6月、出光興産がLG傘下の有機EL特許管理会社グローバル オーレッド テクノロジー(Global OLED)に32.73%出資しています。この一連の動きは、出光興産にとっては、有機EL材料供給メーカーとして、将来需要を自社に囲い込むための投資であり、LGにとっては、高性能有機EL材料とその知的財産権確保の布石ととらえることができます。

 次に、有機ELディスプレイ事業開発からの日米欧企業撤退の歴史を振り返ってみましょう。

有機EL事業開発からの日米欧企業撤退の歴史

 2001年からコダックと組んだ三洋電機は2006年1月に合弁事業開発から撤退し、コダックはその直後の3月からLGフィリップスと有機ELの共同開発を開始しています。しかしながら、液晶ディスプレイの製造を手掛けるLGフィリップスは、フィリップス側の株式比率低下に伴い、1999年にLG ディスプレイに名称を変更しており、フィリップスは2009年に合弁事業そのものからも撤退しています。そしてコダックも、2010年に12月には有機 ELディスプレイ事業からの撤退を決断したことは既に述べた通りです。

 2001年に、サムスンSDIと組んで有機EL事業開発に取り組んだたNECは、2004年に合弁事業と知的財産権の一部をサムスンに譲渡し、有機EL事業開発から撤退しています。ちなみに、NECが日本に出願した有機EL特許の現在の特許権利者(更新権利者)を確認すると、登録になった特許の大部分はサムスンモバイルディスプレイ(日本語表記:三星モバイルディスプレイ)が更新権利者となっています。

 ただし、一部の登録特許の権利はいまもNECにあり、分割出願や特許審査請求が現在も行われており、有機ELディスプレイ事業撤退後のNECの知財戦略のしたたかさの一端を知ることもできます*。


*特許電子図書館(IPDL)の経過情報検索を利用すれば、サムスングループ内の事業統合に伴い、サムスンモバイルディスプレイが有機EL事業を担当していることや、NECの有機EL特許のかなりの部分がサムスン電子に譲渡されていることが確認できます。


 このような歴史的経緯を経て、有機ELディスプレイ事業は韓国のサムスンとLGに絞られました。とはいっても、液晶ディスプレイのときと同じように、既に台湾企業の参入が始まっていることも事実です。

有機EL材料をめぐる知的財産権の争い

 前述した1987年のコダックの研究者Tang氏らによる積層機能分離型構造の提案に続く、有機ELの第二の技術革新は1998年のプリンストン大学や南カリフォルニア大学による、リン光性有機EL発光材料の登場です。有機EL発光の理論的量子効率が、炭素骨格を主体とする蛍光性発光材料では 25%であるのに対し、有機金属錯体からなるリン光性発光材料では100%となり、大幅な発光効率向上が期待できるようになりました。

 リン光性有機EL発光材料に関わる基本的特許の特許権はプリンストン大学が持ち、UDCがライセンス供与を受けています。これらに該当する日本特許は3件(登録特許4511024号、4357781号、3992929号)あります。

 このうち、登録特許4511024号については、プリンストン大学から「日本特許庁の拒絶査定取り消しを求めた審決取り消し訴訟」が知財高裁でありましたが、現在のところ拒絶査定は覆っていません(知財高裁:2011年5月10日判決)*。


*裁判判例情報の検索画面で、「プリンストン大学」と入力すれば検索結果を得ることができます。


 この登録特許4511024号については、その後の上告などの情報は確認できていませんが、登録特許4357781号と3992929号の2件については、半導体エネルギー研究所が「無効審判請求」を起こしており、リン光性有機EL発光材料に関わる基本的な特許と思われる3件の日本登録特許の、特許権そのものの成立が怪しい状況になっています(3件全てが無効となる可能性も秘めているわけです)。


*特許電子図書館(IPDL)の経過情報の経過情報(番号照会)に登録特許番号を入力し、「審判情報」をクリックして確認すると現在の状況が分かります。


 つまり、「裁判の判例情報」や「特許の経過情報」は確定したストック情報でなく、時間と共に変化するフロー情報ですが、対象特許が現在どのような状況にあるかというフロー情報を容易に知ることができる時代になっています。

 そして、このような有機EL素子構造と材料に関する特許権を企業間でつぶし合う状況の始まりは、企業間での有機EL特許権に関わるライセンス交渉が既に水面下で始まっていることを示唆しています。

 次に、日米欧・中国・韓国における有機EL関連特許出願の状況を紹介したいと思います。


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