「普段から使えるレスキューロボットを作ろう」〜原発ロボットを開発する千葉工大・小柳副所長(後編)再検証「ロボット大国・日本」(11)(1/3 ページ)

東京電力・福島第一原子力発電所に投入された最新型レスキューロボット「原発対応版Quince(クインス)」の開発責任者であるfuRo副所長 小柳栄次氏に聞く。今回は、レスキューロボット開発に着手したいきさつと、次期ロボット「Rosemary(ローズマリー)」の概要、実用化に向けた今後のロードマップについてだ。

» 2012年03月28日 11時00分 公開
[大塚実,@IT MONOist]

 前回の記事では、2012年2月末に現場(東京電力・福島第一原子力発電所)に投入された最新型の「原発対応版Quince(クインス)」について取り上げた。

 今回はそれに引き続き、今後投入予定のロボットについて紹介するが、その前に、なぜfuRo副所長の小柳栄次氏がレスキューロボットを開発するようになったのか、そのいきさつについて触れよう。


実は不純(?)だった動機

 小柳副所長がレスキューロボットの開発を始めたのは、桐蔭横浜大学に在籍していたときだった。この当時、小柳副所長が関わっていたのは、ロボットサッカー競技「ロボカップ」である。ロボカップは大学・高専が多く参加するアカデミック色の濃い大会であるが、同大学からも、この中の一部門である「小型ロボットリーグ」にチームが出場、小柳副所長はそれを率いていた。

ロボカップの小型ロボットリーグ ロボカップの小型ロボットリーグ
左側が桐蔭横浜大学のチーム「Toin Albatross」のロボット(2004年に撮影)

 桐蔭横浜大学のチーム「Toin Albatross」は国内では強豪だったが、小型リーグでは海外勢が強く苦戦。初めて行った世界大会(2003年のイタリア大会)ではベスト8という結果で、「米国やシンガポールの大学が強くて強くて。こいつらには絶対に勝てないなと思った」と小柳副所長は当時を振り返る。

 しかし、会場で他の競技も見に行ったところ、ある競技のところで足が止まった。それは災害救助を想定した「ロボカップレスキュー」だ。サッカー部門の後から発足した新しい競技だが、がれきの走行に苦労する出場ロボットを見ていて、もともと不整地走行が専門だった小柳副所長は「何でこんなところで動けなくなるんだ。われわれがこれに出たら勝てる!」と思ったのだとか。

 そこでレスキュー部門への参加を決めた小柳副所長。翌2004年のポルトガル大会では、何と初出場で初優勝。2005年の大阪大会でも勝ち、世界大会の2連覇を達成した。

ロボカップレスキューのコース(2005年の大阪大会) ロボカップレスキューのコース(2005年の大阪大会)。小柳副所長の「Toin Pelican」はここでも優勝

 動機としては不純に見えるかもしれないが、「小型リーグでは歯が立たなくて、学生に元気がなくなっていた」と小柳副所長。レスキュー部門へのシフトは、学生のモチベーションを上げるため、「勝利」にこだわった結果だといえる。

 そんなときに起きたのが新潟県中越地震だ。2004年10月23日に発生したこの地震は、最大震度7を記録。新潟県の中越地方を中心とした各地で大きな被害が出ており、新幹線が初めて脱線するという衝撃的な事故も起きた。

 レスキューロボットの準備を整え、11月になってから現地に向かった小柳副所長だったが、実際の災害現場の難しさは想像以上だった。「われわれのロボットは、防水機能もなければ、ライトも付いていなかった。相当甘い考えだった」(小柳副所長)。改良のために、現地に数日滞在しただけで戻ることになり、競技との違いを痛感した。

 「ロボットというのは、人の役に立たなければならない。これを機会に、コンテストのため“だけ”にロボットを作るのはやめた」と小柳副所長。2006年4月に千葉工業大学に移り、実用化を視野に、レスキューロボットの開発を続けることになる。


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