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» 2013年03月22日 10時00分 公開

ママさん社長は30代になってから設計を覚えた:女子力とは「誰かのためになることを考える力」 (2/2)

[小林由美,MONOist]
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問題を抱える企業への就職と、独立戦争

 以後は、「モノづくりに携わりたい」と考え、再び製造業へ復帰。長いブランクの後の再就職ということで、選択肢はおのずと絞られた。案の定、優良企業と巡り会うことは難しく、えり好みをしている場合でもなかった。

 再就職した小さな金型メーカーでは、営業と現場(技術)、両方をいきなり任された。そこで初めて、2次元CADや機械設計を覚えた。藤崎さんが就職した当時、「CADを覚えてくれ」と会社から渡されたのは、なぜか「(業務使用が禁止されている)アカデミック版(学生版)」のAutoCAD……。しかも、CADができる人間が職場に1人もいなかった。だからこその、「覚えてくれ」だった。

 そして「三角法って何?」となったのが、ここの職場。藤崎さんは現場の技術者に必死で食らいつき、関連の専門書を隅から隅まで読み、2年間で最低限の実務がこなせる程度の機械製図や設計の知識、部品加工など習得していった。その過程で、CADのオペレーションも覚えていった。そこで一番のモチベーションとなっていたのは、顧客からの感謝の言葉。「目の前の顧客のためになることをしたい」一心で仕事した。

 藤崎さんが大手メーカーに営業して取ってきた案件があったが、現場に余裕がなく、対応してくれないことがあった。しかし、ここで「できない」と言ってしまえば、仕事を依頼してくれた顧客は、困ることになる。藤崎さんは、顧客が望む物を、“何が何でも”用意することが最良だと考えた。そして、一度も設計したことがなかったにもかかわらず、勉強しながら、失敗もしながら、自力で一から製品を作り上げてしまった。

 幸いだったのは、設計物は1点もので、サイズは比較的大きく、部品点数も少なく、精密ではなかったことだった。たとえ設計が数mm単位で狂っていても、製作時に調整できた。納期にもかなり余裕があった。設計ビギナーが実物で試行錯誤して学ぶには、“よいお題”といえた。机上の知識だけではなく、体験が伴っていたことが、藤崎さんの技術習得を早めた。

 次に縁があったのは、県内の大手半導体メーカーの下請けである零細事業者。しかも……驚くことに、経営者が管理監督責任を放棄しており、実業性も曖昧で、もはや事業所として機能していなかった。藤崎さんは、そこでも営業と技術、両方こなすことになった。従来の顧客との関係をつなぎ留めつつ、新規開拓も意欲的に行った。自分が持ち合わせる知識と経験を統合して目の前の作業をこなし、設計・製作の腕により磨きを掛けていった。

 経営者の怠慢は改善されることなく、やがて自宅が職場になってしまい、勤怠や経理まで自分自身で管理することになってしまった。営業の際の交通費も、自分でまかなっていた。なのに肩書上は、一応、一企業の社員。一体、社員なんだか、業務委託なんだか……、良く分からない雇用形態だった。何にしても、これでは企業に雇われているメリットが全くない。個人事業主も同然。

 ――それならいっそ、自分が独立起業してしまえ。それが、テクノフレキスの始まりだった。

 そう決めた際、経営者夫婦からしつこい嫌がらせを受け続けた。退職を申し出て了承を得たにもかかわらず解雇通告を内容証明で送り付けられ、藤崎さんの悪口を顧客たちに言って回られた。もし藤崎さんがこの事業者を裁判で訴えれば、勝てたのかもしれない。しかし、そんな悠長なことを考えている余裕がなかった。

 ちなみに当時、再就職してからまだ10年もたっていなかった。

テクノフレキスとして

 テクノフレキスを立ち上げた後の藤崎さんは、古巣との面倒を回避するためにも、自分が担当した顧客には現状のまま(古巣と)取引を続けてもらうよう懇願し、一からの新規開拓に臨んだ。

 必死で営業に臨んだもの、初年度の経営は大苦戦。「このままでは食べていけない。いい恥さらしだ!」――藤崎さんは、ただ無我夢中で営業し、作業をこなし続けた。

 当時はとにかく、思い付くあらゆる手段を使い、社名をPRして回った。例えば、NCネットワークや2ちゃんねる、mixiといったWeb上のコミュニティーや、ビジネス系のマッチングサイトなどを活用してニッチな仕事を探し出し、さらにインターネプコンやJPCA Showといった製造業系の展示会があるたびに、自社のパンフレットを持参して営業回りした。

 状況は切羽詰まっていたため、PRするだけではなく、実績も直ちに作らなければならなかった。「できません」「分かりません」は決して言わず、とにかく何でも仕事を引き受けた。知識が欠けている部分があれば、その都度、夜を徹して専門書で勉強した。

 そのようにして2年、3年と死ぬ思いで経営を続けるうちに、幸い、年商は2倍、3倍と伸びていった。その過程で、かつての古巣の顧客たちが、自ら契約を取りやめ、こちらにやってきてくれた。そうしてテクノフレキスの経営は、2008年後半のリーマンショックの打撃も何とか乗り越えて、どうにかこうにか経営を軌道に乗せた。

 「何でもかんでも自分がやらざるを得ない状況」から、逃げだすか、立ち向かうか。あなたならどちらを選択するだろうか。藤崎さんは逃げることなく、自身にとって未踏の領域であっても果敢にチャレンジしてきた。そして、それが今日の藤崎さんの幅広い技術スキルと実績へとつながった。その原動力となっていたのが、「誰かのためになりたい」という気持ち、すなわち、女子力だった。

 女性は、長時間の痛みに耐えた末に、子どもを産む。男性がそれを体験すると、すぐに失神してしまうといわれる。苦境を耐え抜き、「なにくそ」とはい上がる力は、男性より女性の方が強いものかもしれない。

海内工業の板金ワークショップにて:藤崎さんは元気で明るい。大好きな漫画は「るろうに剣心」とのことで、主人公の生きざまに共感しているそう。「知恵と心を賭してしてこのモノづくりの人生を完遂する!」。

女子力を生かし、継承する活動へ

 「日本におけるモノづくりって、昔から『目に見えない形を製品に吹き込んできていた』と思うんです。顕在化や標準化ができない、レギュレーションにない、独特の形です。そのおかげで、日本は世界に誇れる文化水準と品質水準を維持してこられたと思います。それは国民性であり、今後引き継いでいかなくてはならない知的財産です。今みたいなグローバル社会であれば、やはり、国際社会における日本という国の立ち位置を認識していくことが必要です。それと併せて、女性特有の感性と発想力で、モノづくり文化を継承していこうとする働きかけは、素晴らしい活動になると考えています」(藤崎さん)。

 現在、SWLPでは2013年11月に東京ビッグサイトで開催される「デザインフェスタ Vol.38」に出展を予定しており、作品を準備中だ。

 「個々が個性(技能)を持ち寄って、1つの物を皆で作るという過程で、皆が日常の業務で抱える課題や問題点が必ずにじみ出てくるはずなんです。それを解決しながら、それぞれの現場に効果をフィードバックする、といった企業にとってメリットになる“目に見えた行動”も視野に入れています」(藤崎さん)。

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