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» 2014年02月20日 10時00分 公開

本田雅一のエンベデッドコラム(27):「これが新しいVAIOです」――ソニーPC事業の失墜と新会社に求められる新たなVAIOブランドの確立 (2/4)

[本田雅一,MONOist]

新興国開拓に舵を切った2009年以降のVAIO

 かつて家庭向けPCから撤退したソニーが、PC分野への再参入に際して「普通のパソコンではソニーが作る意味がない」とする当時の出井伸之社長の意向を受け、それまでのコンピュータ部門から独立した事業としてスタートしたのがVAIOだった。

 当初、AV/ITというコンセプトを立て、ソニーが持つオーディオ&ビジュアルの技術、ノウハウとコンピュータを融合することからはじめ、その後、デジタル家電が発展していく基礎となるアイデアや用途を生み出した。

 例えば、筆者はPCを主に取材の道具として使う。こうしたユーザーにVAIOのコンセプトがマッチしていたかといえば、全く合っていなかった。同じように昔からのPCファンの中には、VAIOに対して特別感を抱かない人もいるはずだ。しかし、ホームエンターテインメント的な要素が欠けていたPCに、新たなコンセプトを持ち込み、その後のAVパソコンやデジタル家電へとつながる道を開いたという意味で、VAIOの取り組みは業界に新たな流れをもたらした。

 動画を取り込んでインターネットにアップロードして共有したり、共有する動画にコメントを付け、今で言うソーシャル視聴的な要素を加えたりなど、振り返ってみると現在のインターネットサービスのトレンドを示唆するようなコンセプトも数多く披露してきた。

 その後、PC業界や周辺環境の変化に伴い、VAIOはコンセプトに修正が加えられていくが、一貫していたのは“普通のパソコンではないユニークな製品を作ろう”という意志である。AV機能が重視されなくなって以降も、独特の立ち位置を作ろうとしていた。

 “事務処理を迅速にこなす仕事の道具”としてのPCであることを拒否し、オーディオ&ビジュアル、イメージングといった分野への最適化やライフスタイルクオリティの演出を重視することでVAIOをビジネスブランドとして確立させようとしたわけだ。

 他の大手PCメーカーに比べると出荷数は圧倒的に少ないものの、平均単価が高いのがVAIOだった。製品の方向性などは異なるが、“事務機器としての作業効率”を根源としないパーソナルコンピュータブランドを持っていたのは、他にAppleぐらいだろう。Appleが復活する前までのVAIOは、海外でも独自の存在感を示していた。とりわけ欧州における“プレミアムパソコン”としての人気は高かった。

 ところが、2000年代も半ばになると、ユニークなモデルも作ってはいたものの、徐々に販売ボリュームを求める製品が増えていった印象がある。決定的だったのは2009年、それまでソニーが静観していたネット閲覧に特化した低価格ノート型PC、いわゆる「ネットブック」を作り始めたことだった。

初のNetbook「Wシリーズ」 ソニー初のネットブック「Wシリーズ」(2009年8月発売)

 ネットブックは先進国でも低価格から流行した時期もあったが、もとはといえば、新興国市場開拓のために企画されたものだ。低価格を実現するために、Intelが専用の半導体製品を、Microsoftが低価格のライセンス体系を整えていたのだ。ネットブックを発売するということは、すなわち新興国市場でボリュームを取りに行くということでもある。

 VAIOの成長戦略を描く上で、中国、インドをはじめとした新興市場でのシェア拡大を狙い、数を追わずに付加価値・ユーザー体験を重視した“独自性の高いパソコン”から、価格重視のいわば“普通のパソコン”にVAIOのバッジを付けて販売する路線へと転換したわけだ。

 「ソニーがPCをやるならば、PCの既成概念を覆すものでなければならない」というVAIOの源流にあるコンセプトは、ここで決定的に変わったといえよう。

 このような考え方は、当時の時代背景の中にあって特殊なものではない。リーマンショック後、先進国市場の頭打ちが目立つ中で、新興国へと打って出るためにボリュームゾーンの製品を充実させ、グローバルでの競争力を高めようという考え方は一般的なものだったからだ。

 しかし、この方針転換とその後の組織運用が、その後のVAIOの命運を決めたといえる。「それは、結果論ではないか」という声もあるだろう。しかし当時、さまざまなPCメーカーの製品発表や開発者取材に立ち会っていた筆者を含め、PC業界の多くの人間が、異変を感じ取っていた記憶は残っている。

 ネットブックだけでなく、普及型モデルのVAIOの説明を受けながら「これは本当にVAIOのロゴを付ける意味があるのか」と尋ねたのは筆者だけではないと思う。もちろん、それなりの答えが当時も用意されていたが、今になってそのときのことを尋ねると「これではVAIOのコンセプトがダメになる。ボリュームゾーンをやるなら、ディフュージョンブランドを新たに作るべきだ」と強い抵抗感があったという。

 ところが、当時の幹部はそれまで築いたVAIOブランドを使って、新興国市場での事業立ち上げを素早く行う道を選択した。その後の新興国市場の伸び悩み、平均単価の下落、ブランドイメージの低下などを振り返れば、この選択がその後のVAIOの運命を決めてしまったといえる。

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