富士通が貫く福島発“メイドインジャパン”としての誇りメイドインジャパンの現場力(4)(4/4 ページ)

» 2015年02月27日 10時00分 公開
[陰山遼将MONOist]
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2000万台に満足することなく次のステージに

 記念式典には、岩渕氏、斎藤氏に加え、福島県副知事の鈴木正晃氏や、伊達市市長の仁志田昇司氏が登壇し、富士通アイソテックが生産するデスクトップPCの累計出荷台数2000万台達成を祝った。また、2000万台を記念して製造された富士通のデスクトップPC「ESPRIMO」のゴールドカラーも披露された。


記念式典では岩渕氏、斎藤氏に加え、福島県副知事の鈴木正晃氏や、伊達市市長の仁志田昇司氏が登壇し、累計出荷台数2000万台突破を祝った(左)。2000万台出荷を記念して製造された富士通のデスクトップPC「ESPRIMO」のゴールドカラーも展示された(右)(クリックで拡大)

 記念式典で斎藤氏は「PCの約90%以上が中国製であるという市場環境で、メイド・イン・ジャパンを維持し続けるのは大変なこと。中国の人件費は日本の10分の1といわれている。その中で富士通アイソテックは毎年10%のコンスタントなコスト削減に取り組んだ。その結果が、累計出荷台数2000万台という数字につながったと考えている」と語った。

 同氏は続けて「富士通アイソテックだけでなく、福島市や伊達市の皆さんに加え、インフラや物流など多くのパートナー企業、そしてメイド・イン・ジャパンのデスクトップPCとして多くのユーザーに販売を行ってくれた販社の皆さんの協力にも感謝したい。また、富士通アイソテックは2000万台では終わらない。今後も、日本でしかできないことの付加価値を大切にして、22世紀に至るまでメイドインジャパンを続け、3000万台、4000万台を目指していきたい」と謝辞とともにさらなる意気込みを語った。

 また岩渕氏は、富士通アイソテックの沿革を振り返り、「1994年12月よりデスクトップPCの生産をスタートしてきた。その後、さまざまな方の協力のおかげで、富士通アイソテックが生産した製品に“伊達モデル”という名前をつけてご愛顧いただけるまでになった。しかし、その道のりは決して順調ではなかったし、日々生じる現場の問題をクリアしていくという毎日だった。こうした努力の積み重ねで累計2000万台を達成できたと考えている。これに満足することなく3000万台、4000万台も達成したい」と語った。

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