JIMTOF2022 特集

若者に支持される町工場の作り方、事業承継の苦労と工夫JIMTOF2018(1/2 ページ)

「第29回日本国際工作機械見本市(JIMTOF2018)」(2018年11月1〜6日、東京ビッグサイト)の特別講演として、ダイヤ精機 代表取締役の諏訪貴子氏が登壇した。「町工場の娘〜ダイヤ精機代表取締役諏訪貴子氏に学ぶ2代目の事業継承〜」をテーマに、急な事業引き継ぎにもかかわらず、従業員の力を集結し危機を乗り越えた「経営改革」、若手採用に当たって自社の強みを効果的に伝える重要性や、キメ細やかな育成方針で退職を防止する「人財育成」などについて紹介した。

» 2018年12月10日 11時00分 公開
[長町基MONOist]

 「第29回日本国際工作機械見本市(JIMTOF2018)」(2018年11月1〜6日、東京ビッグサイト)の特別講演として、ダイヤ精機 代表取締役の諏訪貴子氏が登壇した。「町工場の娘〜ダイヤ精機代表取締役諏訪貴子氏に学ぶ2代目の事業継承〜」をテーマに、急な事業引き継ぎにもかかわらず、従業員の力を集結し危機を乗り越えた「経営改革」、若手採用に当たって自社の強みを効果的に伝える重要性や、キメ細やかな育成方針で退職を防止する「人財育成」などについて紹介した。【訂正あり】

【おわびと訂正:2018年12月11日14時 初出時、諏訪貴子氏の表記に誤りがありました。お詫びして訂正致します。】

いきなり町工場の社長に就任する

 ダイヤ精機は、自動車メーカー、自動車部品メーカー向けに、鍛造用金型部品、治工具、ゲージの設計や製作、販売を行う東京都大田区にある1964年創業の町工場(従業員数30人)である。多品種少量生産を行い、モノづくりでは大田区を代表する企業「ザ・町工場」を目指しているという。

 創業者の先代社長が2004年に急逝し、2代目の社長に就任したのが次女の諏訪氏である。この跡を継ぐ決断に至った経緯については2017年にNHKでドラマ化(「町工場のオンナ」)されて、話題となった。

photo ダイヤ精機 代表取締役の諏訪貴子氏

 諏訪氏は、長兄が夭逝したのち、将来の後継者候補として育てられた。ただ、性格的には「恥ずかしがりやで、人見知りだった」ようで、先代社長は「このままではまずい」と考えたのか、生活環境を変えた。

 その結果、大学も理系を選択し、自動車部品メーカーに入社した。本人は、OLとして働きたいという希望があり、入社先の職務も「秘書課」を志望して就職した。しかし、実際には工機部での女性初のエンジニアとしての採用だった。「だまされたと思ったが、腹をくくった」という諏訪氏は、入社後の厳しい試練の中でも、周りの支えもあり機械の扱い方から始まり、品質管理、設計までさまざまなモノづくりを2年間にわたって学んだ。

 その後、結婚して出産したのを機に退社。生まれた子供は男子だったので、先代は「この子を2代目とする」と意気込んだ。諏訪氏は「これで肩の荷が下りた」と感じたという。

 その後、「会社を手伝って欲しい」という先代に求めに応じて、ダイヤ精機に入った。順調に工場の経営は続いていくと思われた2004年、先代が病気で緊急入院、5日後そのまま急逝した。そして、目まぐるしく葬儀などが行われた翌日に、いきなり現実に引き戻される状況に陥った。

 「次、誰が社長やるのですか」という取引銀行の支店長からの言葉だった。周囲からは、大手メーカーのエンジニアとして勤務している諏訪氏のご主人への期待が高まったが、勤務先の都合などで社長に就くことはできなかった。次に社員の中で昇格することが検討されたが、「社員全員で支えるのでぜひ社長へ」という声に後押しされ、悩んだ末に最終的に諏訪氏が代表者に就任したという。

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