低毒性燃料採用の超小型衛星用スラスター開発はリアル下町ロケットだった!?宇宙開発(2/4 ページ)

» 2021年10月07日 10時00分 公開
[大塚実MONOist]

世界最小という衛星用スラスターバルブ

 高砂電気工業は、バルブやポンプなど、流体制御機器の専門メーカーである。特に医療分野ではワールドワイドの強みを持っていたが、近年は宇宙分野にも力を入れており、国際宇宙ステーションの科学実験機器で使われた実績がある他、ロケット用や衛星用のバルブも開発している。

 浅井氏は「小型衛星のニーズが高まるだろうと想定し、世界で一番小さいスラスター用のバルブを作ることにチャレンジした」と狙いを述べ、「われわれの知る限り、衛星向けのスラスターバルブでは世界最小」(同氏)と胸を張る。

高砂電気工業のスラスターバルブ「HVA」 高砂電気工業のスラスターバルブ「HVA」。YUTAスラスターのバルブはこれがベースとなっている[クリックで拡大] 出所:高砂電気工業

 バルブ開発を担当した同社未来創造カンパニー 技術開発課 航空宇宙グループリーダーの井上昌彦氏は、「多くのユーザーはこれまで、このクラスのバルブを米国のメーカーから購入していたが、それは民生用だった。もともと宇宙用ではないので、カシメや接着を使った接合部があった」と問題点を指摘する。

 「カシメや接着は、壊れやすいというリスクがあるが、ユーザーは他に小さいバルブがないということで、これを使わざるを得なかった。われわれは宇宙用として開発したので、高圧や振動に耐えられるよう、金属をメインで作り、接合は全部溶接で行っている。宇宙での使用に耐えるバルブに仕上げたのが大きな特徴だ」(井上氏)

 同社の主力製品である医療用のバルブとは、さまざまな点が異なるという。医療用バルブは、生体的な適合性や薬品に対する耐性などが重視され樹脂を使うことが多かった。スラスター用に比べると、圧力は低いし、激しい振動なども気にする必要はない。作り方はかなり違い、このために「ほぼ初めて溶接に挑戦した」(井上氏)そうだ。

ふとした偶然から始まった協業

 両社の協力は、どうやって実現したのか。実は、2017〜2018年に経済産業省が開催した「コンステレーションビジネス時代の到来を見据えた小型衛星・小型ロケットの技術戦略に関する研究会」の会合において、高砂電気工業 会長の浅井氏と、由紀精密 社長(当時)の大坪正人氏が隣の席になり、意気投合したことから始まったのだという。

 由紀精密はこのとき、既にスラスター開発を計画していたが、キーパーツの1つがバルブであると認識していた。当初はバルブまで自社開発する方向で考えていたものの、経験豊富な高砂電気工業がバルブを担当してくれるのなら、由紀精密はそれ以外のところにリソースを集中できる。このメリットは大きく、協力が決まったそうだ。

 松本氏は「ドラマになるような大きな山場などは特になかったが、少し頑張れば乗り越えられるようなことの繰り返しだった」と、これまでの開発を振り返る。

 難易度の高いバルブを高砂電気工業に任せられるようになったとはいえ、由紀精密にとって、スラスターの開発はこれが初めて。松本氏も、もともとの専門は機械系のためスラスター開発の経験はなく、「高濃度過酸化水素の取り扱いを役所に届け出るなど、初めてのことばかりだった」という。

 そんな手探り状態からのスタートだったが、スラスターについては、比較的文献がたくさんあり、最初の情報収集は順調だった。ただ、「教科書レベルの勉強はしやすかったが、それ以上のところは各社のノウハウのため、簡単に教えてもらえるものではない。そこからが難しかった」(松本氏)と、独自開発ならではの苦労も味わった。

 また、衛星のスラスターは真空中で使うものであるため、最終的には、真空中で試験を行い、性能を確認する必要がある。これには真空チャンバーが必要で、通常は各地の試験センターで借りることができるのだが、スラスターのように内部で噴射するような試験となると、なかなか貸してくれるところがなかった。結局、自社で試験設備まで用意することになったという。

高砂電気工業の浅井直也氏(上段左)、由紀精密の永松純氏(上段右)、高砂電気工業の井上昌彦氏(下段左)、由紀精密の松本幸子氏(下段右) 高砂電気工業の浅井直也氏(上段左)、由紀精密の永松純氏(上段右)、高砂電気工業の井上昌彦氏(下段左)、由紀精密の松本幸子氏(下段右)[クリックで拡大]

 資金面では、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の宇宙用部品・コンポーネント開発助成事業の支援を得たことが大きかった。採択されるかどうかの最終面接では、「かなり手厳しいことを言われた」(浅井氏)、「人生で一番つらいプレゼンだった」(永松氏)と、「下町ロケット」ばりの苦労もあったようだが、結果は合格。

 2年目が終わった段階で開催された中間発表会では、永松氏に代わり、部長の松本氏が説明に立った。最終面接でのトラウマもよみがえる場面だが、「技術以外のところで指摘は受けたものの、自信満々で発表できた」(松本氏)と、無事乗り切った。実際に現場で手を動かして開発してきた経験が、この自信の源なのだろう。

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